幼児教育知の探究11 表現芸術の世界

著者
清水満・小松和彦・松本健義 著
版型・頁
A5判 306頁 上製 (2010/05/15)
ISBN
978-4-89347-111-6
価格
2,750 円(税込)
数 量

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概要

1989年の幼稚園教育要領から「音楽リズム」「絵画製作」の領域が「表現」となってすでに20余年になるが,幼児教育界の多くの実践現場では音楽や美術という文化を教えるスタイルが変わっていない。人間はみな表現者であり共同体という生活芸術の世界を生きているところに立ち返るのは並大抵のことではない。その課題を鮮明にし,次の時代を描くために,表現芸術の世界を3人の方々に異なる視座から描いていただいた。

第1部は,「表現的生としての人間」と題する清水満氏の論考である。「芸術とは何か」を考える原典として,近代美学を確立したカントの美的判断やシラーの美的教育論が論じられている。人間の身体的共存に注目して幼児教育の場を”美の共和国”とする清水氏の提案は,まさに学校こそ表現的生のコスモロジーとなる必要性について考えさせられる。
第2部は,「民俗学からみた表現活動」という小松和彦氏の論考である。近代科学が隆盛した時代においては,妖怪だの鬼だの幽霊だのといった見えない霊の存在は否定されてきた。しかし,人間は見えない存在に怖れをいだきつつ精神にこれらを留め置くからこそ,己という実在が見える。空間や時間に伴う不安や恐怖などは混沌であるが故に生を照らしだすのである。不安や恐怖が科学知で説明される世界は一見,合理的に思えるが,科学知で説明しえない混沌を抱えているのが生の証である。妖怪などの物語は,現世と死後の世界の中間を浮遊して2つの世界のつながりを生みだしている。小松氏の「妖怪学」にはそうした妖怪と付き合う常民の知恵が,歴史的事実に重ねながら描かれている。……本巻の企画にあたって,妖怪学からみた生活芸術の時空を,子どもたちの日常に取り戻すために切望した小松氏の論考である。
第3部は,遊びの協働的実践を芸術の実践形式と位置づける松本健義氏の「子どもの遊びと生活芸術」の論考である。今-ここの〈できごと〉は,人と人との相互作用の中で意味を生成しながら物語として双方の意識を変革し,関係のありようを変えていく。関係が生成する物語をどのように読み解くか,トランスクリプトの手法で表現が生まれる関係の相互性を詳細な分析を通して検証している。そして,幼年期の子どもが活動することによって生まれた不思議を,様々に想像しながら表現することによってみんなの不思議にしていく過程や,浸っている風景の中の自分の行為が詩のような言葉となり,それが相手と共振していく過程など,教師が見過ごしてしまうような子供の行為表現に注目している。

3人の論考の異なる視点と共通する理が、読者諸氏の表現芸術を考える幅を広げてくれるに違いない(本書まえがきより抜粋)。

主要目次

<第1部> 表現的生としての人間―美的な経験と身体
  第1章 美的にみる
   §1 カントの「美的判断」
   §2 シラーの「美的教育論」
   §3 相互承認
  第2章 身体の捉え直し
   §1 表現のメディアとしての身体
   §2 「トロプス」と「イドラット・フォルクス」
   §3 デンマークの「イドラット・フォルクス」
  第3章 デンマークの教育思想とその実践に学ぶ
   §1 表現主義の思想的系譜
   §2 コルの教育思想
   §3 コルから学んだことを生かす―一つの実践例
   §4 デンマークの幼稚園を訪ねて
<第2部> 民族学からみた表現活動
  第1章 生活と表現
   §1 生活の中に埋め込まれた「表現活動」
   §2 物語る:伝説・昔話・世間話
   §3 歌う:儀礼歌・労働歌・遊び歌
   §4 造形する:祈りの造形
  第2章 ハレとケあるいは常民の世界観
   §1 演じる:神事と芸能のあいだ
   §2 子どもの年中行事:常民社会の子どもたち
   §3 異界と妖怪
  第3章 表現と芸術
   §1 「生活芸術」の発見
   §2 常民世界の中の「表現活動」と「芸術」
<第3部> 子どもの遊びと生活芸術
  第1章 子どもの行為の意味生成
   §1 行為の成立
   §2 子どもの生きる世界
  第2章 <できごと>の現れを生成する行為表現と<学び>
   §1 行為表現と<生きることとしての学び>
   §2 <学び>と共同体の成り立ち
  第3章 遊びと生活芸術―まとめにかえて―