教育課程を問うこと 教育を問うこと
本書は、教育における「教育課程」とは何なのか、その理論と実際を検討するものである。しかし、教育課程を明らかにするためには、その内容や方法を検討するだけでは十分なものとはいえない。「教育課程」を問うということは、教育課程を規定する「学校」を問うということである。そしてまた学校を問うということは、学校を成立させている「教育」を問うということでもある。その意味で、本書は「教育課程」をキーワードに「教育」の再考に迫るものである。
本書の読者の多くは、幼児教育や保育の領域をその専門とされている方々である。したがって、本書は最終的には、保育における教育課程(保育計画)について論じたい。前述した論理に従えば、「保育における教育課程(保育計画)」を論じることは「保育」そのものを論じることでもある。人が次世代の子どもを育てようとする営みは、それが私的な領域での営みであろうと、その時代のあり様を反映する。「保育」という営みが、公的な営みとして機能するとき、さらにその実践には、今を生きるわれわれの心のあり様が否が応でも投影される。
保育におけるカリキュラム・デザイン
われわれが「子ども」をどのような存在としてとらえ、どのような保育を目指しているのか、そしてそれを実現する方法はどのようなものなのか、そうした保育の根本への問いが実践に描き出される。言い換えるならば、われわれの子ども観、発達観、教育観、保育観が最も顕著な形で現れるものが教育課程ということでもあるだろう。その意味で、教育課程を創るということは、教育や保育を創る営みそのものでもある。
子どもと保育者の間に生成する「保育」という営みの本質に多少でも触れたことのある保育者は、この仕事の愉しさと喜びを実感する。教育課程を描き、創り出すというその生成の作業は、「保育」と同じように愉しさと喜びが内包された営みであるはずである。
子どものたちの活動に対するあらゆる仮説を立て、次々に展開する活動を踏まえて次なる学びの援助をする。こうした、子どもの学びのプロセスが教育課程である。保育者が子どもたち一人一人の「今」と「これから」に思いを寄せ、その学びをデザインするとき、そこに生きた教育課程が生まれる。(本書「はじめに」より)
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